キャラバンの歩み
1956年5月9日。日本山岳会隊がヒマラヤ・マナスルへの初登頂を遂げた。1953年と1954年、二度の挑戦を経て、三度目に成し遂げた成功だった。
世界中の登山家が登頂を目指すなか、日本人が初めて8,000m級の頂に立った快挙に、日本中が沸き立ったのだった。
このとき登頂を果たした遠征隊員が、ベースキャンプまでのアプローチに履いたシューズ。それがキャラバンシューズの原点である。
株式会社キャラバンの歩み
1954年(昭和29年) | 6月19日「株式会社 山晴社」を設立。「キャラバンシューズ」を発売 |
1955年(昭和30年) | 総合アウトドア用品の展開を図る |
1963年(昭和38年) | 「キャラバンシューズ」が総理大臣賞を受賞 |
1971年(昭和46年) | 商号を「株式会社 キャラバン」に変更 |
1981年(昭和56年) | 国産初のトレッキングシューズ「グランドキング」を発売 |
1993年(平成5年) | ドイツ「LEKI」ブランドの輸入販売を開始 |
1995年(平成7年) | イギリス「Granger’s」ブランドの輸入販売を開始 |
1999年(平成11年) | イタリア「CAMP」ブランドの輸入販売を開始 |
2003年(平成15年) | カナダ「G3」ブランドの輸入販売を開始 |
2006年(平成18年) | アメリカ「22DESIGNS」ブランドの輸入販売を開始 |
2012年(平成24年) | アメリカ「R・M・U」ブランドの輸入販売を開始 |
2014年(平成26年) | 6月19日 創立60周年を迎える |
2016年(平成28年) | スイス「SCOTT」ブランドの輸入販売を開始 |
2018年(平成30年) | イタリア「Zamberlan」ブランドの輸入販売を開始 アメリカ「UNPARALLEL」ブランドの輸入販売を開始 |
2019年(令和元年) | 中国「DexShell」ブランドの日本アウトドア・ルート専売代理店を開始 同年6月19日 創業65周年を迎える |
2022年(令和4年) | 自社企画新カテゴリーのアウトドアシューズ「CRV」を発売 |

キャラバンシューズの開発者で、創業者でもある佐藤久一朗。69歳でアイガー登頂に成功したときの写真。 (撮影/小西正継氏)

2014年5月、新社屋完成
キャラバンシューズの歩み

1952年 | マナスル登頂のアプローチシューズとして開発。 | ![]() マナスル遠征隊員に提供したプロトタイプ |
1953年 | 軽登山靴『キャラバンシューズ』 プロトタイプ完成。 |
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1954年 | キャラバンシューズ第一号を市販。 プロトタイプ仕様に加え、ソールとくるぶしにガードをプラス。 |
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1957年 | 内部にチェック生地の布張り。 カラーも増え、さらにアッパーデザインの改良を行う。 |
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1958年 | アッパーにナイロンを採用。軽量化を追求。 | ![]() |
1965年 | 「キャラバンスーパー」発売。 その後素材を変え、「クライミングブーツ」へと発展。 |
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1967年 | スペックほぼ完成。 以後「キャラバンスタンダード」として超ロングセラーとなる。 |
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1981年 | 国産初のトレッキングシューズ「グランドキング」誕生。 | ![]() |
1990年 | 履き心地の良さはそのままに、 「キャラバンスタンダード」をいちだんと軽量化。 トリコニーを取り除きスパッツの使用も可能になる。 |
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1995年 | 国産グランドキングにゴアテックス®ブーティーを採用。 | ![]() |
2005年 | 惜しまれつつも国産キャラバンシューズの販売を終了。 | |
2008年 | 新生キャラバンシューズとして「C-1」を発表。 | ![]() |
2014年 | 新生キャラバンシューズの三代目「C1_02S」を発表。 | ![]() |
2022年 | Create Real Vitalをコンセプトとした新カテゴリー「CRV」誕生。 | ![]() |
創業者・佐藤久一郎が、遠征隊のアプローチ用シューズ開発担当に抜擢。
遠征隊員たちに“キャラバンシューズ”と呼ばれたこのシューズを開発したのが、株式会社キャラバン(当時・株式会社山晴社)の創業者である佐藤久一朗だった。学生時代から山岳部で活躍した佐藤は、当時日本山岳会に所属し、 ヒマラヤ委員会の装備担当を任されていた。
1953年の第一次マナスル遠征が決まったとき、軽くて履きやすいアプローチ用シューズの開発が必要となった。当時の日本には、いわゆる軽登山靴が存在しなかったのだ。開発担当として白羽の矢を立てられたのが、佐藤だった。
何度も試作を繰り返して、遂に「キャラバンシューズ」が誕生。
翌日から佐藤はシューズ開発に没頭した。アッパーには靴ずれしにくい綿帆布を、靴底には足を守るゴムソールを選択。その接着は容易ではなかったが、 大学山岳部当時の仲間が藤倉ゴム工業㈱に勤めていたことが幸いした。 協力を要請し、何度も試作を繰り返して、ようやく隙間なく接着させることに 成功した。試作品ができあがっても、シューズ開発が終わることはなかった。 佐藤はマナスル遠征隊全員の足形を調べ、ひとつひとつ木型をつくり、ひとりひとりにぴったりのシューズを完成させたのだ。
第一次マナスル遠征は初登頂を果たせなかったが、遠征隊員たちは「足にぴったり合ってとても履きやすい」「長く履いていても疲れない」と、キャラバンシューズを褒め称え、「日本中の登山家や登山愛好者にこの靴を履いてもらいたい。ぜひ商品化しましょう」とすすめてくれた。
市販化を果たし、いくつもの賞を受賞。日本でいちばん愛されるロングセラー登山靴へ。
1954年、佐藤は「株式会社 山晴社」を設立し、「キャラバンシューズ」の販売を開始した。くるぶしの部分には、「日本山岳会推奨」のマークが誇らしげに添えられていた。1956年に日本山岳会がマナスル初登頂を果たすと、いわゆる第一次登山ブームが巻き起こり、キャラバンシューズは追い風を受けて急速に販売数を伸ばしていった。
1958年にモデルチェンジを行い、ソールにトリコニーと呼ばれる鉄製スパイクを採用。さらに、1959年に当時としては非常に困難だった“ナイロンとゴムの接着”に成功し、「キャラバンスタンダード」が誕生した。画期的な技術革新が可能にした高性能なシューズは高く評価され、1959年に「通産省軽工業局長賞」、1961年に「通産大臣賞」、1962年に「ブルーリボン賞」、1963年に「総理大臣賞」を受賞した。
キャラバンスタンダードは一般登山家の枠を超え、小学生・中学生の林間学校や耐寒登山にも使用されるポピュラーなシューズとなっていった。バリエーションも増え、最盛期には1年間の売上数が約20万足に達し、2003年にその生産を終了するまで、総生産数は約600万足にも及んだ。キャラバンシューズは類い稀なロングセラーとなり、日本でいちばん愛用されたトレッキングシューズとなったのである。
商品ラインナップを広げ、日本のアウトドアフィールドを支え続けていく。
1981年、もっと軽く、もっと機能的なシューズを求めて、「グランドキング」が誕生した。デュポン66ナイロンに通気性・透湿性・防水性を実現するスポーリア加工を施し、優れた耐久性と履き心地を実現。1984年には「グッドデザイン賞」を受賞した。やがて理想的な素材のゴアテックス®ブーティーに出会い、完全防水でありながら蒸れにくい圧倒的なトータル性能を備えた登山靴へと進化を遂げた。
シューズを主力としながら、アウトドアフィールドで求められるさまざまな製品の開発にも果敢に取り組んでいった。一方、独自の視点で世界中から選び抜いたインポートブランドも次々とラインナップに加え、初心者向けからプロ仕様の本格的なギアまで幅広い品々を取り揃えて、大自然と向き合う人々を支え続けている。